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YOSHII LOVINSON 「CALL ME」を聴いている時に感じる私の小さな優越感のこと

音楽

CALL ME
CALL ME
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YOSHII LOVINSON
EMIミュージック・ジャパン (2005-01-13)
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この曲、私の印象だと、結構カラオケで人気がある。同世代(20代)の友だちとカラオケに行くと、普段は吉井和哉とかイエモンに興味なさそうな男子がドヤ顔で歌っていたりする。ちなみに、このような男子が他に吉井和哉やイエモンの歌を歌っているのを聴いたことはない。前々から吉井和哉やイエモンのアルバムを聴いてきた私は、そのどや顔を鼻で笑ってしまいそうになることがある。隣でうっとりと、「この曲めっちゃいいよね〜」などと言う女子力高めの女子に悪いので、私はその笑いを慌てて引っ込める。
なんてことはどうでも良くて、ともかく、私はこの曲は「カラオケで歌う曲」として一定の人気があるのだとみている。

で、この曲がなんでカラオケで人気を博しているかの原因を考えていると、一つの理由に思い当たる。その理由とは、大勢の人がこの曲をラブソングだと思っているから、だ。

オレでよけりゃ必要としてくれ
CALL ME CALL ME
電話一本でいつでも呼んでくれ
後悔ないようにしとくぜ

まあ、こんな歌詞ならラブソングと思っても仕方ない。実際、私も最初はラブソングだと思っていた。
ところが、ふとある時どこかで読んだ吉井和哉の「CALL ME」についてのインタビューで、私はこの曲の作者の意図を知ることになる。

以下、BARKSの参照ページ。
http://www.barks.jp/news/?id=1000004472

上のURLのページにも書いてあるけれど、吉井和哉いわく、この曲は、「“神様からCALL MEされたらどうしよう”という内容で、“神様からCALL ME”=“死”を表現しました」という曲だというのだ。
もう、びっくりである。ちょっと暗めのラブソングだと思っていた曲が、私の中で一気に壮大で深い曲に様変わりした。

上で引用した歌詞の、「後悔ないようにしとくぜ」という部分は、それまで相手の女性に向けての決意のようなものだと思っていたのだが、これが死に対する曲だとすると、そうではなくて、「死んでも“自分が”後悔ないように生きる」という意味に捉えられる。
そうか、そういう曲だったのか。
そう思えば、この曲を流れる暗いのに妙に力強い雰囲気に納得がいく。
暗い決意。そう、この曲には暗い決意がある。
そして、生きることへのどうしようもない諦めと、それでもこの世界で生きていく決意。

私は自分がラブソングだと思って聴いていた時よりも、この曲が好きになった。
作者の制作の意図を知ることで、こんなにも曲の色が変わり、曲に対する向き合い方が変わる。
こんな体験はそうそう出来るものじゃない。

とは言え、音楽ってものは作者の意図するところを離れて、リスナーが自分の好きなように解釈しても全然問題のないものだと私は思っている。いや、むしろ、音楽はそうあるべきだ。それが音楽の自由だ。
だから、未だに「CALL ME」をラブソングとして聴いている人を私は責めることができない。
だけどそれでも、この曲で「CALL ME」されているのが神だということを知った時の、あの目の前の色が一気に変わっていくような感覚を、私は体験できて本当に良かったと思っている。吉井さん、ありがとうといつも思っている。

カラオケでこの曲をラブソングだと思ってドヤ顔で歌っている男子に、「この曲は神と死についての曲なんだよ」と教えてあげたらどう反応するだろうか。びっくりするだろうか。いや、しないだろうな、なんとなく。
「何難しいこと言ってんだよ。どうでもいいよ」というような顔をされるのが関の山だろう。ドヤ顔の男子にとってはこの曲がラブソングであった方が色々と都合が良いだろうし。

でもね、私はあんなに素敵な曲の色が変わる瞬間を体験出来たんだよ。いいだろう。羨ましいだろう。
「CALL ME」を聴く度に、私はいつもこんな風に、小さな優越感に浸りつづけていくのである。