それから

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誇りーー続・祖父のこと。

暗闇ーー祖父のこと。 - それから

再び、がんで闘病している祖父を見舞いに行った。
私が肩を叩くと、寝ていた祖父は目を覚ました。
そして嬉しそうに「来たか」と言った。

しばらくすると、夕食が運ばれてきた。
祖父はまだ自分でスプーンを持って食事が出来るものの、確実に手の力が弱ってきている。母は食事を食べる祖父の手伝いをしていた。
煮物の野菜を細かく切ったり、お茶を飲ませたり、こぼした食べ物を拭いてあげたりしていた。祖父は入れ歯の口で、焼き茄子をもぐもぐと噛んでいた。
そして祖父が食事を終えると、母が祖父の耳元で「おいしかったですか?」と訊いた。
祖父は「まあまあ」と答えた。
私と母は声をあげて笑った。
同室の患者さんの食事の介助をしていた看護師さんも、一緒に笑っていた。

母は見舞いから帰る時、必ず祖父の手を握って、「また来るね」と言う。
祖父から亡くなった妻(私の祖母)や近所に住む娘(私の叔母)に間違われようとも、必ず。
祖父は私の父方の祖父であり、母は祖父にとって嫁に当たる。二人に血の繋がりはない。
私は祖父の世話をしている母を見ていると、祖父が父方の祖父だったことを一瞬忘れる。母の姿は、血の繋がりというものを忘れさせるものだ。

血が繋がっていないのに、どうして母はこんなに祖父の面倒を温かくみることが出来るのか。
夫の親だからか。嫁としての義務か。本人の性格か。
多分、そのどれも理由としてあるんだろう。

考えているうちに、私は一つのことに気づいた。
さっき、私は祖父と母は血が繋がっていないと言ったけれど、そうではないのではないか。
そうだ、祖父と母は繋がっている。
私を通して、繋がっている。
祖父ー父ー母ー私。こんな風に。
母は多分、無意識にそのことを知っている。
そして母が今までの人生で育ててきた優しさが、祖父に自然と注がれている。
多分、「どうして義父の面倒をみるのか」などと考えもしないのだろう。母にとってそれは、雨が降れば傘をさすような、そんな当たり前のことなのだ。きっと。

私はあと何回、祖父に会えるだろう。
母はあと何回、祖父に会えるだろう。
そしてもし「その時」がきた際には、祖父と血の繋がった私の悲しみは、母のそれときっと同じくらいだと思う。そのことを、母を、私は誇りに思う。