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「君の友だち」と言える優しさーー「君の友だち」キャロル・キング

つづれおり
つづれおり
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キャロル・キング
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先日行われた祖父の葬儀には、200人近い人が訪れた。
200人である。約90年という長い年月を生きてきたおかげもあるとはいえ、それほど多くの人が祖父の死を悼むために集ったというのは驚きである。
そこで私は、否が応にももし自分の葬儀が行われた時はどれほどの人が私の葬儀に来てくれるのだろう、ということを考えてしまった。
私は友だちが少ない方だと思う。多分、本当に「友だち」と呼べる人の人数は両手で事足りる。おそらく、葬儀に来てくれる「友だち」はその両手分の人たちくらいしかいない。それにプラスして親戚の何人か。携帯電話のアドレス帳に約100件の連絡先が入っていてもこの有様だ。
「友だち」ってなんだろう。誰もが一度はぶち当たる疑問に、改めて遭遇する。

キャロル・キングは、アルバム「つづれおり」に収録された名曲、「君の友だち」の中でこう歌った。

You just call out my name
And you know whereever I am
I'll come running to see you again
Winter, spring, summer or fall
All you have to do is call
And I'll be there
You've got a friend


あなたが私の名を呼ぶだけで
私はどこに居ようとも
あなたに逢いに飛んで行く
冬でも、春でも、夏でも、秋でもかまわない
あなたが呼んでさえくれたなら
私はすぐに飛んで行く
あなたには居る、友達が

この歌詞で私が素晴らしいと思うのは、主人公となる「私」が「君は私の友達だから」ではなく「あなたには居る、友達が」と言っている点である。
そう、この曲の中の人は、「自分」主体ではなく「あなた(相手)」主体で「友だち」の存在を教えているのである。そこに、この曲の本当の優しさが隠れているように思うのである。

極端な話になるけれど、例えば自分の友だちがどこかのビルの屋上から今まさに飛び降りようとしているとしよう。私はその時に、その飛び降りようとしている人にかける定番ともいえる台詞、「そんなことをしたらあなたを大切に思っている人たちが悲しむからやめなさい」というような台詞が嫌いだ。うーん、嫌いというか、その言葉では飛び降りようとしている人の心を鎮めることは出来ないんじゃないかと思ってしまうのだ。
なぜなら、その言葉では飛び降りようとしている人が置いてけぼりにされているからだ。悲しむのは「大切に思っている人たち」であって、そこにはその飛び降りようとしている人がいない。
私だったら、そんな言葉を言われるよりも、「君の友だちはここにいるよ。だからこちらへ来て、話をしよう」と言われた方が嬉しい。そこにはしっかりと私のことを思っている(主体としてくれている)感触があるからだ。

キャロル・キングの書いた「You've Got A Friend(あなたには居る、友だちが)」というフレーズにも、相手を第一に思う優しさが含まれているように思う。
すごくささいな点で、ニュアンス的な部分なのだけど、「君は私の友だちだから」と言われるよりも数倍心に響くのはなぜだろう。キャロル・キングの柔らかな歌声と相まって、その優しさは私の心に響く。

両手で事足りるほどしかいない私の「友だち」。私は彼らに、「あなたには居る、友達が」と胸を張って言えるだろうか。言えるようになりたい。そして彼らに冷たい風が吹きつけるような出来事があった時には、いつでも駆けつけられるような人間になりたいと思う。