それから

ちょいと読んでかない?

人は「ゆとり世代」を作り出している

私はぎりぎり「ゆとり世代」ではない。
とはいえ「ゆとり教育」はすでに私の代で始まっていた感がある。「総合的な学習の時間」とやらは授業に組み込まれていたし。だから、私より上の世代の人から見たら、私もゆとり世代だとみなされるかもしれない。
しかし、である。最近思うのだけど、この「ゆとり世代」って本当に存在しているのだろうか?
いや、教育制度上の「ゆとり世代」は確かに存在しているのだろうが、そうではなくて、人々の心の上での「ゆとり世代」のことである。どうも私にはこのゆとり世代っていうのが、ある特定の世代を指しているわけではないような気がするのである。

前の職場で、私より一つ歳下の後輩がいた。
教育制度上の「ゆとり世代」でいうと、ゆとり世代元年の歳に当たる(教育制度上のゆとり世代の期間にも諸説あるようだけど、ここではとりあえず1987年生まれがゆとり世代元年ということにする)。

とりあえず、この後輩、とにかく無気力であった。
その上、仕事はテキトーどころかミスが多い、にも関わらずそのことを報告しない。しかもその報告しない理由が「怒られるのが怖いから」ならまだ理解が出来るものの、怒られるとすら思っていない節がある。
何を考えているかわからない。昼休みに仕事の話をしていても上の空で携帯をいじっている。
どうやら家が結構なお金持ちらしい。歳下の学生の彼氏がいて、誕生日に馬鹿高い財布をプレゼントしたとか。この仕事は腰掛けか。すみません、後半はゆとり世代にあまり関係ないです。

先輩たちは彼女のことを話す時、「これだからゆとり世代は」と言ってあきれていた。
そしてまた、彼女の教育係的立場だった私も、あまりに無気力極まりない彼女の姿に対して、「これだからゆとり世代は」と思ってしまうことが多々あった。

しかし待て。私と彼女はたった一つしか歳が離れていないのである。たった数ヶ月私が先に生まれただけである。
自分でいうのもなんだが、私は彼女と真逆で真面目だけが取り柄の人間である。積極性もそれなりにあると思っている。
教育制度の「ゆとり教育」に甚大な力があったのなら一学年の差で真逆の性質を持った人間が生まれてもおかしくはないが、そうとも思えない。
ならば結局はこれはただの性格の違いではなかろうか。

そもそも、私が後輩を見て定義したゆとり世代の特徴が、世間で思われているゆとり世代の特徴とずれているような気もしてくる。後輩の特性は、ゆとり世代から来るものではなく、単なる彼女自身の性格ではないのか。もうよくわからんくなってきたぞ。

極めつけは、同じ職場に私と同い年の同僚がおり、彼女もまた、先輩たちから「これだからゆとり世代は」と度々言われていた点である。「いや、ちょっと待ってください。彼女ゆとり世代じゃないですから!」である。それでも先輩たちからみたら、彼女は先輩たちの思うゆとり世代の特性にがっつりハマっていたということなんだろう。

結局、ゆとり世代なんて存在しないんじゃないかというのが私の感触である。
人は自分が思う「ゆとり世代的特性を持った人間」に出逢った時、「ゆとり世代」を作り出しているのである。それが教育制度上の「ゆとり世代」の期間と一致すると、さらに「ゆとり世代感」は強固になる。
そう考えると、件の彼女はただ自分の力だけで無気力だったのに、ゆとり世代に組み込まれたことによってオリジナリティを失ってしまった上に、「ゆとり世代」の烙印を押されて先輩たちから匙を投げられているので可哀想っちゃ可哀想である(それにしても、自分の力だけで無気力ってのもおかしな表現だな)。

ゆとり世代だから」と言って匙を投げるのは簡単だ。そして多分、当の「ゆとり世代気質」を持った人にとっては、匙を投げられるのはそれほどダメージを受けることではないのである。だから彼らを突き放すのは、何の解決にもならない。
そして最後には結局、先輩が後輩に愛情を持てるか、ということが鍵になってくるような気がする。
信頼ではなく、愛情である。無気力には愛情で立ち向かう。親が子供が初めて歩いたことを喜ぶように、仕事が初めて上手くできた時に褒めてやる。そういう仕事を越えたところにある愛情を注いでやる。それが近道のような気がする。
「なんで仕事でそこまでせにゃならんのか」と言う人も中にはいるかもしれない。でも、最初から愛情を放棄していては、何も始まらない。たとえ結果が惨憺たるものになったとしても、だ。仕事関係には信頼が必要不可欠だと思うが、愛情なくして信頼は築けないというのが私の持論だ。
私は前の職場を辞めるまで、件の後輩に対して愛情を放棄したつもりはない。そのことだけは胸を張って言えるし、今は無理でも、いつか彼女の心に届くと信じている。

とはいえ、職場においてはこういう後輩のような存在は厄介であることは間違いない。
そこで彼女の教育係的立場だった私は、彼女に「アメとムチ作戦」ならぬ「アメ作戦」を施すこととした。これは、彼女にお菓子のアメをちょいちょい分け与え「私はあなたの敵ではないですよ〜」とアピールする作戦である。結果は、私の懐と胃が寂しくなっただけであった。
他に何かいい作戦がある人、情報求む。