それから

ちょいと読んでかない?

帰る家を見つける才能ーー「家」髭(HiGE)

D.I.Y.H.i.G.E.
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髭(HiGE)
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聞く度にどうしても泣きそうになってしまう曲がある。
髭(HiGE)のアルバム、「D.I.Y.H.i.G.E」に収録されている、「家」という曲だ。
私はこの曲が大好きだ。大好きだから、大好きなのに、いつもこの曲を聞くとどこか不安な気持ちになって、胸の奥から何かがせり上がってくるような感覚を覚えてしまう。
どうしてそうなってしまうのかずっと考え続けていたのだけれど、ここ最近になって、ようやくその理由に辿り着いたような気がしている。

ツイッターでフォロワーさんに教えていただいたことなのだけれども、「家」は、ボーカルの須藤さんが結婚された時に作られた曲なのだそうだ。
なるほど歌詞を読めばそれがわかる。

「家」は結婚した相手が待つ住居のことだろう。そして物理的な建物としての家だけではなく、「家庭」という心理的な意味での家も表しているのだと思う。
須藤さんの素直なボーカルで「帰る家が見つかったぜ」なんて言われてしまうと、本当に心から「良かったね」なんて言葉が口から出てきそうだ。

だけど、なぜか私は切なくなる。それは多分、この「帰る家が見つかったぜ」と、サビの「曖昧なDAY&DAY」が絶妙に絡み合って私の中の不安を引っ張り出してしまうからだ。
「見つかった」という言葉の中には、その「家」が改めて作られたものであるというよりも、すでにどこかに存在していたものである印象を受ける。
そして、その中には、帰る家にいる結婚相手を見つけた、という意味も含まれているように感じる。

20代もなかばを過ぎて、周りの友人・知人が結婚するのを目の当たりにする機会は、否応なしに増えてきた。
仕事や将来への不安を抱え、この先どうすればいいのか頭では薄々わかっていても、結局ぼんやりした頭で曖昧な日々を送っている、20代後半という年齢には、そういうものが多分に含まれている。
その中で、友人・知人たちは、しっかりと帰る「家」をどこかから見つけてくる。私にはそれが、なんだか才能というべきものに思えて仕方ない。
そしていくつかの恋を経て感じるのは、私にはどうもその才能がないのではないか、ということだ。

別に恋愛に対してなにかのトラウマがあるわけでもない。両親が不仲な家庭で育ったわけでもない。それなりに真面目に生きてきたし、どんな時だって他人に対して誠実に接してきた自負もある。
だけれども、こと恋愛・結婚というミッションにおいては、そんなことはあまり役に立たないどころか、なんの意味もなさない場合も多い。
だけど私は他にどう生きればよいのかわからないし、そうすることが自分の中で当然のことであるから、そのまま曖昧な日々を送り続けている。そして未だに、「帰る家」は見つからない。

すでに結婚した人にとっても、毎日の生活の中には色んな物事に対する不安や憂鬱はやっぱり存在していて、伴侶がいるからといって物事がすっきりとした色をしているわけではないのだと思う。曖昧な色をした毎日の連続。それがおそらく、人という生き物の宿命だ。

けれど、そんな毎日の中でも、「帰る家」さえあれば、人はその曖昧な毎日を受け入れることがちょっぴり易しくなるのではないのだろうか。もしかしたらそれが、結婚というものの美しさの一つなんじゃないだろうか。

だからこそ私は不安になる。私には、「家」を見つける才能が備わってないんじゃないかって。そんな「家」を見つけることなんて、一生出来ないんじゃないかと。
私がHiGEの「家」を聞く時にせり上がってくる涙と不安とは、多分そういうことだ。あるいは、そんな風に思わせてしまうくらい、この曲が「家」を見つけることの素晴らしさを伝えてくれている、という言い方も出来るかもしれない。だから私は、不安に苛まれながらも、この曲を何度も聞いてしまう。

もしも将来、私が「帰る家」を見つけることが出来た時、この曲はきっと姿を変えて私の前に現れるだろう。
そしてそんな曲を作ってしまう須藤寿という人は恐ろしく素晴らしいし、この胸が不安に押しつぶされそうとも、「家」は本当に美しく、素敵な曲であることに間違いはない。