それから

ちょいと読んでかない?

夫婦仲における運動神経

ブルーバレンタイン [DVD]
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バレンタイン間近のカップルを地獄に突き落とすような映画を紹介します。意地悪でごめんなさい。結婚に夢見てる人にはきっつい映画。いや、別に結婚に夢見てない私にも正直きつい映画でした。

私がこの映画を見ることになったきっかけは、同僚が自分の好きな映画、ということでこの映画を挙げたことだった。その同僚は若くして離婚を経験していて、私もちょくちょくその結婚生活や離婚の経緯を彼女から聞いていた。そして、その同僚がおすすめしている映画である「ブルーバレンタイン」が、一組の夫婦を描いた作品だということを知り、失礼ながら、俄然興味が沸いてしまったのである。

映画は一組の夫婦の絆が壊れるまでを描く。だけどその手法がちょっと凝っていて、夫婦が離婚に至るまでの期間(現在)と、その昔夫婦が出会い、結婚するまでの期間(過去)が交互に描かれる形で映画は進む。
だから、現在パートで夫婦の絆が崩壊していく様がものすごく胸に痛いし、リアリティを持って迫ってくる。人に歴史あり。夫婦に歴史あり。しかもその歴史が美しければ美しいほど、現在の空虚さが際立ってしまう。

映画の中で夫婦は感情をぶつけ合い、傷つけ合い、その絆を自分たちで壊していく。なんとも痛ましい姿である。出会いから結婚に至るまでの幸せな過程を見せられているだけに、見ているこっちは「なんで? なんでそうなっちゃうのー?」と苦しくなる。でもたぶん一番「なんで?」ってわからなくて辛いのは主人公たちなんだろうな。

私は夫婦仲が良い家庭で育ったので、夫婦の絆が崩壊するってことがいまいち理解出来ない。結婚をして、生涯を共にすると誓いあったのならば、死ぬまで添い遂げることが可能であると信じている。それはなぜって、そういうモデル(両親)が一番身近にいるからで、動かしようのない現実としてそこにあるからである(まだ両親は健在だけれども)。
だけどそれは多分、奇跡なんだろうとこの映画を見て思った。自分の両親のことを奇跡だと言うのはこっぱずかしいけれども、やはり奇跡としか言いようがない。

で、とりあえずなんでうちの両親がそんなにも仲が良く関係が長続きしているかと分析してみた。その結果、どうやらこれが答えかもしれない、というものを見つけた。
「適度にキャッチボールが出来ていない」
これである。
ここでいうキャッチボールとは、「会話が上手く成り立つ」という意味ではなく、「お互いの持っている感情を相手にぶつけ合う」という意味である。
どういうことかというと、喧嘩になりそうな場面で、うちの両親は相手の投げてきた強いボール(感情)をまともに受け取れないことが結構あるのである。意図的なのか天然なのかはわからないけれど(多分天然)、自然にボールを取り損ねて、尚且つそのことをお互い何とも思っていない節がある。多分、両親は相手がボールを取り損ねることにかなり寛容である。器が広いとも言えるし、鈍いとも言える。
とはいえこの「運動神経」の鈍さが、両親の間に一定の平穏をもたらしていることは間違いない。

ただしこれは多分、感情のキャッチボールという点において両親の「運動神経」が似通っているからこそ出来る技であるように思う。例えば、父か母のどちらかがキャッチボールが上手いタイプの場合、相手が度々ボールを取り損ねるようなことがあれば当然怒りが湧いてくるだろう。なにしとんじゃワレ、とストレスが溜まるはずだ。
それならば夫婦共々「運動神経」が良ければバランスが取れているので良いのか、というと、そうとも限らないと思う。
それは「ブルーバレンタイン」の夫婦を見ればわかる。

この中の夫婦は、異様にキャッチボールが上手いのだ、多分。相手のぶつけてきた感情(ボール)をしっかりと受け取り、また、それを強い力で投げ返す。投げ返された方もまた本気で感情を投げ返す。あんたら「運動神経」良すぎ。これじゃあ疲れますって。肩壊しますって。夫婦としての選手人生って長いんだからさぁ。
たとえ夫婦だとしても、まともに感情を受け取ってちゃ駄目なのかもしれない。と、未婚の私はこの映画を見てそんな風に思った。

そういえば、これってドラマ「最高の離婚」の夫婦にも言えることかも。この中の濱崎夫妻も、なんだか感情をぶつけ合うことが非常に上手というか、まともにボール投げすぎやろ、的な印象を受ける。

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ただね、うちの両親みたいに絶妙の運動神経バランスで夫妻仲を保つのってやっぱりある種の奇跡だと思う。大体は人間ってのは自分の感情に気づいて欲しい生き物だしね。
だけどもしかしたらね、ちょっとくらい自分のボール落とされても大丈夫なくらい、他の何かで繋がれる異性がいるんじゃないかと期待してしまう。その「何か」はもう言葉で表すことは不可能なんじゃないかな。その「何か」を持った人を探すのが結婚ということかもしれない、などと最近は思っています。