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「リア充爆発しろ」は永遠に不滅である

嗤う分身 [DVD]

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あらすじ(「ぴあ映画生活」より引用)
ドストエフスキーの初期作『分身』をジェシー・アイゼンバーグミア・ワシコウスカを迎えて映画化。ある日、自分と顔、格好、声、ファッションまでもがまったく同じながら、“性格“だけが真逆の男が目の前に現れた冴えない主人公が、想像を絶する恐怖を味わう様をスリリングに描く。英国映画界の新鋭リチャード・アイオアディが監督を務める。

シルバーウィークに突入する直前、可愛い彼女のいる同僚に、「このリア充めがw」と言った私であるが。まさかシルバーウィークに偶然この映画を見ることになるとは。
原作は1846年発表のロシアの文豪・ドストエフスキーによる「分身」である。原作自体は未読であるが、映画を見る限り思ったことはタイトル通り、「リア充爆発しろ」は永遠に不滅であるということ。

というのもこの映画、あらすじにもあるように、冴えない主人公(ジェシー・アイゼンバーグ)の前にある日突然「姿形だけは同じのイケてる自分」が現れてさてどうなるか、というもの。この「イケてる自分」がとにかく何事にも要領が良くて口が上手い。苦労せずして上司の高評価を獲得し、さらには次から次へとお姉ちゃんたちをゲット。容姿は「冴えない自分」と何ひとつ違わないのに! なぜだ! そしてなんと、長いこと思いを寄せている愛しいあの子まで「イケてるあいつ」を好きになる始末……。
この主人公の疑問、嫉妬、怒り、悲しみの懊悩を今風に言い換えると、「リア充爆発しろ」以外のなにものでもない(と私は受け取った)。

千原ジュニアは『ブログのつまらない女』と結婚しそう」とは、モテない男が突然モテてしまい混乱する様を描いて大ヒットした漫画「モテキ」の原作者、久保ミツロウ先生の名言であるが、この「ブログのつまらない女」こそ「リア充爆発しろ」の「リア充」に相当する人間像だと思う。
しかし注目すべきは、「ブログのつまらない女」とはほぼ100%自分のブログがつまらないなどと思っていない。「お前のブログつまんねーわ」と思っているのは、「リア充爆発しろ」と思っている人間だけなのである。なので、この2つの人種はいつまでたっても相容れない。そもそも面白いとか楽しいとか思うものが全然別のところにあるので、「お前のブログつまんねーわ」と言われたところで暖簾に腕押し糠に釘、リア充の耳に念仏なのである。

とはいえ、「ブログのつまらない女」が皆人間的に魅力がないかと言えばそういうことじゃなく。「ブログがつまらない」というのだって、一つの観点からその人を見た感想であって、その人全体を通しての感想ではない。話を「嗤う分身」に戻すと、主人公が思いを寄せるハナ(ミア・ワシコウスカ)も、たぶん「ブログのつまらない女」である。おそらく、このハナがブログを書こうもんなら、「今日は(イケてる方の)ジェームズとビッグ・ベンの通りをお散歩しました♪」云々かんぬんっつーつまなんない文章を羅列しそうであるが、そこはそれ、彼女は彼女で誰にも見せないような孤独を抱えている。イケてない方のジェームズ(主人公)はそこを感じ取り、惹かれ、結果的にそれがハナの心を動かすことになるのである(と私は受け取った)。

結局、最後に勝つのは愛、もとい、どれだけ相手の理解してほしい部分を見ているか、だということをこの映画から私は感じ取った。だが、それまでは自分よりも要領の良いやつに対して「リア充爆発しろ」と悶えること必至なのがまた人生の悲しいところではあるが。ドストエフスキーの原作を読んでいないので確信は持てないが、たぶん170年前の人も、言葉は違えど同じようなことを思っていたんじゃないかと思ったり思わなかったり。とにかく、そういうことを感じさせてくれるこのヘンテコでちょっと悲しい映画が私は大好きだし、すべての愛すべき要領の悪い人たちへ送るバイブルとして存在しつづけるべき作品だと思う。

あとあれだね、イケてるかイケてないかは顔じゃないってこれ見たら良くわかるね。うん。