それから

ちょいと読んでかない?

最良の距離ーー「海街diary」

海街diary

海街diary

あらすじ(「ぴあ映画生活」より引用)
鎌倉で暮らす三姉妹、幸、佳乃、千佳の元に、15年前家を出ていったきり一度も会っていなかった父の訃報が届く。葬儀のため山形に向かった3人はそこで異母妹すずと初めて会う。身寄りのなくなったすずに、長女の幸は鎌倉で4人で一緒に暮らそうと提案する。

今更だけど映画「海街diary」を見た。とてもとても、良かった。奇跡のような映画だった。一言で言うなら、これは、自分の「家」を見つける物語だと思った。

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去年から今年にかけての年末年始、私は九州の実家に四日間ほど帰省していた。実家は、海こそ見えないものの、この「海街diary」で四姉妹が住んでいるような古くて大きな家で、色々な場所にがたがきているけれど畳に寝転がると安心出来るような、そんな家だ。「キッチン」じゃなくて「台所」で、「トイレ」じゃなくて「お手洗い」。立て付けの悪い天袋の中に、何かこの世のものじゃない生き物が潜んでいそうな。そんな家。
というと、なんだかとても居心地が良い家のように聞こえるかもしれないけれど、実は私は、この家にずっといるとしんどくなってくる。年にたった一回の帰省なのに。たった四日間の滞在なのに。家族と仲が悪いわけじゃないのに。四日目を過ぎると、早く首都圏にある一人暮らしのマンションに戻りたくなる。そして、滞在している時はぎこちなかった家族との仲も、マンションに戻った途端良好になる。メールで、素直に感謝の言葉を送ったりなんかして。すごく、良い関係になる。

そんなことを繰り返すたびに、人と人との間には適切な距離があるんだなあと思う。たとえ血の繋がった両親やきょうだいでも。物理的に離れていた方が良好な関係を保てる場合があるのだ。
海街diary」で言うなら、大竹しのぶ演じる母と綾瀬はるか演じる長女・幸の関係がそれに当たると思った。幸は母が家を出て行ったことに憤りを感じながらも、今は自分が家を守り続けていくことを大切に思っている。母は遠く離れた土地で暮らしている。頻繁に顔を合わせるわけではないようだ。だがきっと、この母娘にとっては、今のこの物理的距離が良い関係をもたらしているのだと想像がつく。会うたびに衝突をする。でも、別れる時にはお互いの幸せを願っていることを実感する。それは普段の物理的距離があってこそ。その適切な距離のなんと尊いことだろうか。駅の改札前で別れる二人を見てそう思った。

一方で、これまた家を出て行った父の残した腹違いの妹・すずにとっては、三人の姉と同じ屋根の下で暮らすことが最良の距離となったことがわかる。最初は遠慮がちだったすずが、だんだんと心を開いていく様がとても微笑ましかった。
「お姉ちゃんたちの前では、お父さんのこと話しにくいんだよね」と言っていたすずが、佳乃から母(すずの母ではない)の話を聞き、千佳から「いつかお父さんの話聞かせてね」と言われ、最後に「ここに居ていいのよ」と幸から抱きしめられる。この映画はすずが「家」ーー物理的であると同時に精神的なーーを見つけるまでの物語なのだ。そのことが、しみじみと伝わってきてなんだか随所で泣きそうになってしまった。

それから、四女・すずを演じた広瀬すず(この名前がもう奇跡)が奇跡だった。演技が上手いとかじゃなくて、この時期、この瞬間の広瀬すずを映画として記録できたのは凄いことだ。子供でも大人でもない、人生において本当に短く儚い一番美しいとも言える時期の広瀬すずを「海街diary」という素敵な物語の中に焼き付けた、それだけで賞賛に値すると思った。リュック・ベッソンが「レオン」においてナタリー・ポートマンを映画として残したのと同じくらい。もしもあと一年撮影時期が遅くなっていたら、この映画の魅力は三分の一ほど減っていたと言っても過言じゃない。特に桜並木の中を自転車で疾走するシーンは息を飲む美しさ。髪にひとひらの桜が落ちてそのあと飛んでいく画なんて奇跡としか言いようがない!

私もいつの日か、すずみたいに心の家を見つけたい。血の繋がりはなくとも、誰かがいて、私が帰ると炬燵の中から「おかえり」と言ってくれるような。見つかるかな。見つかるといいな。いや、見つけると思う。「海街diary」は、そんな風に不思議と穏やかな前向きさをくれる素晴らしい映画だった。