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「ソルファ(2016)」のラストトラックが「海岸通り」であることの私なりの解釈と、アジカンから受け取ったメッセージについて

ソルファ (2016)(通常盤)

ソルファ (2016)(通常盤)

最近、もう一つのブログでこんな記事を書いた。
ijimerarekko.hatenablog.jp
その中で私は、こう言い切っている。
「私はいつも、『今が自分史上最高の自分だ』と思って生きている」と。

それでも、生きていれば人生色んなことがある。有名でもなんでもない私の人生の物語は、ハリウッド超大作ではなく、大学生が小遣いをはたいて作った自主制作映画のようにチープで粗削りだ。時々、何のために生きているのかわからなくなる時がある。気がつけば、スクリーンを見つめているのは自分自身だけ。自分だけが、この映画を気にかけている。シナリオもカメラワークも音楽も、すべてが拙くちぐはぐだ。極め付けは主演俳優の魅力のなさ。ラジー賞にノミネートするという次元にすらいけない、自己満足の自主制作映画。そんな物語を生きているような不安に駆られる時がある。

何度目かのそんな気分を感じていた今日この頃、ASIAN KUNG-FU GENERATIONが昨年発表した「ソルファ(2016)」を聴いた。このアルバムは、2004年に同バンドが発表したアルバム「ソルファ」の再録版である。12年の時を経て、一部曲順変更はあるものの、「ソルファ」のすべての曲が「今のアジカン」によって焼き直された。
2004年版は発売時、アジカン初のオリコンチャート1位を獲得し、彼らの人気を不動のものにした邦楽ロックの名盤である。今現在30歳前後の人たちにとっては、好むと好まざるとに関わらず青春時代を思い起こさせる1枚かと思う。友達と行ったカラオケボックスの中で、何回「リライト」のサビを歌い叫んだことか。

きっとアジカン自身にとっても、「ソルファ」は特別な作品であることは間違いない。再録版のリリースこそがその証拠だ。過去の自分たちの作品を今の自分たちで再現する。ややもすれば、「オリジナルの方が良かった」と言われかねないリスクを多分に含んでいるその挑戦をなぜ、アジカンはしたのか。

答えは聴いてわかった。畏れ多くも、「嗚呼この人たちは、私と同じことを思ってたんだ」と確信した。そう、「ソルファ(2016)」に収められた曲たちの歌声から、演奏から、「俺たちは常に今この瞬間が俺たち史上最高なんだぜ」という想いと煌めきが、とめどなく溢れ出ていた。

「リライト」のサビは少し大人びて無鉄砲さがなくなっていたけれど、静かに燃える情熱を孕んでいた。「Re:Re:」の長いイントロには、今まで歩んできた道のりが浮かび上がり、戻ることの出来ない日々や風景に対する切なさが増していた。
そしてラストトラックの「海岸通り」。2004年版のラストを飾っていたのは「ループ&ループ」だったが、こちらは今回トラック3へ移動し、「海岸通り」へその席を譲った。アルバム構成の上で2004年版と再録版で最も大きな改編はこの部分かと思うが、これがかなり痺れる改編となっている。
「海岸通り」の歌詞とメロディは、春の別れと新しい出発を予感させるものだ。前作のトリを飾っていた「ループ&ループ」はそのタイトルの通り、がむしゃらに毎日を繰り返して(ループしながら)その積み重ねをいつかぶち壊して飛び出したいという力みのようなものを表現していた。それが「海岸通り」に取って代わることで、もうもどかしい思いがループすることはなくなった、不満や不安はあるけれど、僕たちは穏やかな希望とともに前に歩いていく、そんなメッセージを伝えているかのようだ。
だからこの「ソルファ(2016)」のラストは「ループ&ループ」ではなく「海岸通り」でなければならなかった。
そう思うのは、私が2004年版の「ソルファ」を多感な年齢に聴いていたせいだろうか。例えそうだとしても構わないし、2004年版を知らなかった若い人たちには、ぜひ両方を聴いて小さくはない変化を楽しんで欲しい。2004年版の方が魅力的だと感じるかもしれない。でもそれは決して間違いじゃない。なぜなら2004年版の「ソルファ」を作ったアジカンも、その時史上最高のアジカンで、そのアジカンが今の君に共鳴したんだから。まるで力強く構えたカメラのピントが合うように。

2004年版の「ソルファ」を「オリジナル」とは呼びたくはない。だって「ソルファ(2016)」も、紛れもなくアジカンのオリジナルなのだから。しかも彼ら史上最高の、音楽なのだから。

ソルファ

ソルファ