それから

ちょいと読んでかない?

ライ麦畑でつかまえて

 詳細は省くけれど、2月の半ばから仕事を休んでいる。それで最近精神科の病院を変えたところ、とても良い先生に巡り合えた。先生からは復職OKと言われている。ところが、職場からは傷病手当金をもらってもう少し休んではどうかとのこと。意見の食い違い。私としては働きたいのだが、働かせてもらえないフラストレーションが溜まる。正直にいってしまうと経済的にも余裕がないため、早く労働したい。職場からもう必要とされていないのではないかという勝手な不安を頭の中で作り出してしまい、精神状態も悪化する。職場からは「君のためを思って言っている」と何度言われようとも、だ。仕事仲間なんて仕事ができなければ切り捨てられる、そういうものではないかという考えがよぎる。30代にして、崖の先端に立たされた気分だ。子どもでもないのに、サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライライ麦畑でつかまえて)」のホールデン少年につかまえてもらえたいと思った。

でもとにかくさ、だだっぴろいライ麦畑みたいなところで、小さな子どもたちがいっぱい集まって何かのゲームをしているところを、僕はいつも思い浮かべちまうんだ。何千人もの子どもたちがいるんだけど、ほかには誰もいない。つまりちゃんとした大人みたいなのは一人もいないんだよ。僕のほかにはね。それで僕はそのへんのクレイジーな崖っぷちに立っているわけさ。で、僕がそこで何をするかっていうとさ、誰かその崖から落ちそうになる子どもがいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。(中略)ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ」(「キャッチャー・イン・ザ・ライ」J.D.サリンジャー村上春樹訳)

 ちなみに、ホールデンは「子ども捕まえたい」と言いながら本当は自分が誰かに「つかまえてもらいたい=助けてもらいたい」と思っていたんだと私は解釈している。だから私は邦題に関しては野崎孝訳の「ライ麦畑でつかまえて」が好きだ。

 半年後には「あの時あんなこともあったね」と笑っていたい。そしてもし自分が元気になった時には、どんな形でかはわからないけれど、崖っぷちの人をうまくキャッチできる人間でありたいと思う。