それから

ちょいと読んでかない?

恋人(仮)

 たぶん恋人ができた、と思う。

「たぶん」とか「思う」とか、断定的な言い方を避けているのは、以前、「付き合おう」と言われた数日後に音信不通になった男性がいたから。今回は今のところ「付き合おう」と言われてから2週間と少しが経っている。

 先週末、初めて恋人(仮)が家にやってきたのだけれど、約束の昼12時を少し過ぎても現れず、「もしかして、またか」と思った。
 彼が現れるまでのたった20分間が永遠のようにも感じられた。前述の音信不通事件が自分にとってかなりトラウマになっていると改めて気づいた。

「ドタキャンされたかと思った」と私が言うと、恋人(仮)は、
「そんなことするやついないでしょ」と言いながら私の作ったお昼ご飯を美味しそうに食べた。そして食べ終わったあと、「シェフになった方がいいよ」と冗談を言った。とても楽しそうに、冗談を言った。

睡眠

 新宿に友人と映画を観にきた。観にきた、のだが、始まって20分も経たない内に奇妙な感覚が私を襲い、耐えられなくなって劇場を後にしてきてしまった。どういう感覚かというと、どこかに眠気があるのに目が勝手にかっと見開いてしまって閉じることができず、急に走り出したくなってしまうのだ。恐らく寝不足と、映画の鑑賞中に寝てしまうのを回避するため摂取したエナジードリンクのせいがあるかと思われる。それはある種の恐怖だった。いや、大げさではなく。
 そして今、映画を観続けている友人を待ちながら、劇場近くの喫茶店でこれを書いている。外では雨が降っている。時間の流れがとても遅い。映画は最近の映画の傾向に沿って2時間半の長尺である。こんな時こそブログを書くしかないじゃないか。ブログがあって良かった。スマートフォンひとつで文章が紡げる時代。万歳。

 自分では充分眠れているつもりでも、実はそうじゃなかったのかもしれない。うつ病で休職している身で、先の見えない将来への不安が膨らみ、無意識の内に私の睡眠を妨害していたのだろう。そういえばこの前、姉に口に掃除機を突っ込まれて吸われる夢を見た。そして自分のうなされる声で目覚めた。我ながらなかなかイカれた夢だ。

 ちなみに私は人と寝るというのも苦手だ。どんなに仲のいい友人だろうと、心を許している(つもり)の恋人だろうと、大切な家族でさえも、決まって大体先に寝るのは一緒に寝ている相手の方で、私は「何で先に寝ちゃうの」と思いながら、もやもやと眠れない夜を過ごすことが多かった。「もっと話をしたいのに、どうして寝ちゃうの?」ずっとそう思っていた気がする。
 それはもしかしたら、会話の分量の問題ではなくて、本当に言いたいことを言えていなかったのかもしれない。充分な会話の後には充分な睡眠が訪れるのかもしれない。

 友人が映画を観終えて喫茶店にやってきた。
「大丈夫? 映画の間、めっちゃ寝た」
 と友人は言った。この友人は本当に気が置けない。そう言えばこの友人と一緒に寝る時はいつも同時に眠りについていることに気づく。
 雨はもうじき止みそうだ。

料理についての個人的な考察

 最近自炊をするようになった。ルーティンはこうだ。朝4時頃に起きては簡単なサラダとトーストに目玉焼きをのせたものなどを作って食べ、昼は飛ばして15時くらいから夕食をぼそぼそと作る。メニューはもちろん日によって変わるが、最近はハンバーグや肉じゃが、ちらし寿司などを作った。この1ヶ月で体重が3.5kg減った。

 ここ最近まで筋金入りの料理嫌いだった。なんといっても料理は工数が多いのが辛い。献立を考えて、広いスーパーで食材を探して買い、その食材を余さず上手く使い回しながら何日分かの料理をこなしていく。その料理ひとつひとつにも、食材を洗う、下処理、切る、焼く、煮る、味付け……など複数の工程があり、うつ病の自分にとってはそのような工程は果てしない罰ゲームでしかない。
 何より何十分も時間をかけて作っても、食べ始めてしまえば一瞬でなくなってしまうあの悲しみ。アートや小説、映画などの芸術作品は後世に残るのに、料理は後世には残らないその脆さ。どうしてもそこに無意味さを感じてしまって私は料理を好きになれなかった。

 今でも料理を好きかと言われるとまだその域には達していないと思う。休職中で節約のために始めたものだし、正直自分の料理が美味しいかと言われるとそんなに美味しくはない。昨日食べたインゲン豆はゴムみたいに固かった。
 ただ、自分なりの料理の楽しさみたいなものはやっていく内になんとなく見つかってきたように思う。
 ひとつは、「料理という作業をしている時に得られる快感がある」ということと、もうひとつは、「料理が後世に残すのは体そのものである」ということである。
 前者は今回ある程度根気強く料理を続けてみてわかったことである。料理をしていると、何もない「無」の状態から何かを作り出していると感じる瞬間が確かにあり、それは文章を書くようなクリエイティブな作業と少し似ているのかもしれない。後者は健康的に-3.5kg痩せたことからわかったことで、料理とは後世に残らないのではなく、体そのものを残すものだということに気づかされた。

「インゲンは先に下茹でしておくといいよ」と、母からLINEが来ていた。
 料理は奥が深いのである。