それから

ちょいと読んでかない?

ライ麦畑でつかまえて

 詳細は省くけれど、2月の半ばから仕事を休んでいる。それで最近精神科の病院を変えたところ、とても良い先生に巡り合えた。先生からは復職OKと言われている。ところが、職場からは傷病手当金をもらってもう少し休んではどうかとのこと。意見の食い違い。私としては働きたいのだが、働かせてもらえないフラストレーションが溜まる。正直にいってしまうと経済的にも余裕がないため、早く労働したい。職場からもう必要とされていないのではないかという勝手な不安を頭の中で作り出してしまい、精神状態も悪化する。職場からは「君のためを思って言っている」と何度言われようとも、だ。仕事仲間なんて仕事ができなければ切り捨てられる、そういうものではないかという考えがよぎる。30代にして、崖の先端に立たされた気分だ。子どもでもないのに、サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライライ麦畑でつかまえて)」のホールデン少年につかまえてもらえたいと思った。

でもとにかくさ、だだっぴろいライ麦畑みたいなところで、小さな子どもたちがいっぱい集まって何かのゲームをしているところを、僕はいつも思い浮かべちまうんだ。何千人もの子どもたちがいるんだけど、ほかには誰もいない。つまりちゃんとした大人みたいなのは一人もいないんだよ。僕のほかにはね。それで僕はそのへんのクレイジーな崖っぷちに立っているわけさ。で、僕がそこで何をするかっていうとさ、誰かその崖から落ちそうになる子どもがいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。(中略)ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ」(「キャッチャー・イン・ザ・ライ」J.D.サリンジャー村上春樹訳)

 ちなみに、ホールデンは「子ども捕まえたい」と言いながら本当は自分が誰かに「つかまえてもらいたい=助けてもらいたい」と思っていたんだと私は解釈している。だから私は邦題に関しては野崎孝訳の「ライ麦畑でつかまえて」が好きだ。

 半年後には「あの時あんなこともあったね」と笑っていたい。そしてもし自分が元気になった時には、どんな形でかはわからないけれど、崖っぷちの人をうまくキャッチできる人間でありたいと思う。

白髪について

 20代の頃から、右側の前頭部に固まって白髪が生えてくる。左側の前頭部や後頭部にはなく、右側の前頭部、そこだけに密集して白髪が生えてくるのだ。白髪染めをしているので現状は白髪は前頭部だけにとどまっているが、染めなければ私の髪はディズニー映画の「アナと雪の女王」のアナのような感じになるだろう。ちなみに私にも姉がいる。ものすごい寒がりで冬は分厚い靴下を履かないと眠れないが。

 正直そんなに褒められた食生活をしているわけではないので栄養面も大いに影響していると思うけれど、それと併せて、ストレスもこの白髪を作り出している一因だと思う。長くうつ病を患っていることと無関係ではないはずだ。
 白髪に対して、私は煩わしさを感じていた。1ヶ月に1回は美容院に染めに行かなくてはならないし、少し伸びてきた時は白髪隠しのヘアマスカラでの応急処置が必要になる。白髪は徐々に増えている気もしており、自分の加齢を感じて落ち込むことも少なくない。ちなみにものすごい寒がりな姉の頭には白髪は数本しかない。なんとも言えない気持ちである。
 ただ昨日、日曜日の夜は少し心持ちが違った。
 夕方、久しぶりに作った摺下ろした人参入りのハンバーグがとても美味しかった。その後洗い物をてきぱきと済ませ、これまたてきぱきと風呂に入った。心も体もさっぱりとした。私は歯磨きも済ませた。あとはもう寝るだけだ。朝が来るまで好きなことをしていていい。この時間は私だけのもの。
 そして私はドライヤーで髪を乾かし始めた。相変わらず右側の前頭部には密集した白髪が存在していた。
 私はその時突然、
「これはこれでいいか」と、白髪を受け入れた。その瞬間、私はなぜかとても泣きたいような気持ちになった。実際に少し泣いた。
 何が作用してそのような心持ちになったのかはわからない。ハンバーグと早めの風呂。なんにせよこの組み合わせが私の中の自己肯定感のスイッチを押したのだ。人間の心理とはよくわからないものだ。

 * * *

 2011年、東日本大震災が起こった時、テレビのニュースで両親を津波で亡くしたという高校生が取材を受けていた。彼の頭には少なくはない白い髪が存在していた。両親を失ってから白髪ができたと話していた。今でもその姿が忘れられない。
 今、彼が元気で過ごしていることを切に願う。

桜海老とメンヘラ

 久しぶりに日本酒を飲んだ。
 新宿駅から歩いて数分の、海鮮を売りにした狭い店だ。金曜の夜ということもあってか、店内は人で溢れかえっていた。意外にも狭さに反して四人組や団体の客が多いようで、二人連れの客は私たちだけのようだった。店の隅の小さなカウンター席で、ひっそりと真鯛の刺身を醤油に浸す。
 連れの男性と二人きりで食事をするのは初めてだった。たぶんデートと呼んでいいのだと思う。他に適切な言葉が思い浮かばない。
 お決まりのように、会話は「お互いの異性のタイプ」の話になる。この手の話になると、いつも私はよくわからなくなる。一応今までお付き合いした男性を頭の中で並べてみて、統計をとってみるのだが、見事にバラバラなので答えに困るのだ。外見で言えば、中東出身に間違われるくらい顔の濃い人から、笑うと目のなくなるタイプの薄い顔の人までいるし、性格でいうなら、みんなの前で全裸になって踊るお調子者から、話題の中心から少し離れたところでひっそりと微笑んでいるのが好きな人もいた。そもそも好きな「タイプ」と言って統計を取れるほどサンプル数がない。
「うーん、穏やかな人が好きかな」
 またテキトーなことを言ってしまった、と思いながらも、私は答えておいた。とりあえず私はすぐに怒る人だけは嫌いなので、間違いではないな、とも思う。すると、相手の男性は、こう言った。
「俺は前向きな人が好きだね。メンヘラも楽しいんだけどね。色々大変な分、喜びも大きいんだよ、メンヘラは」
「へえ。そうなんだ」
「前向きっていうのはさ、気の持ちようじゃなくてただ物事を多角的に見ることができるかどうかってことだと思うんだよね。ここに醤油の瓶があるじゃない? この瓶のどの面を見ているかによって見え方はどんな風にも変わる。それができる人が好きってことかな」
「なるほどね」
 と言いながら私は桜海老のなんとかという料理を見つめた。桜海老の無数の目がこちらをじっと見つめていた。
 そして桜海老は無表情で私にこう語りかけた。

『あんたは精神を病んでる人を気軽に『メンヘラ』って呼べる男を好きになれるかい?』

 桜海老は男性がほとんど一人で食べてしまった。日本酒の酔いは店を出る頃にはすっかり醒めていた。

 店を出ると男性が手を繋ごうとする気配がした。私は男性からつつつと離れた。
 新宿の夜は明るいのが良い。