それから

ちょいと読んでかない?

桜海老とメンヘラ

 久しぶりに日本酒を飲んだ。
 新宿駅から歩いて数分の、海鮮を売りにした狭い店だ。金曜の夜ということもあってか、店内は人で溢れかえっていた。意外にも狭さに反して四人組や団体の客が多いようで、二人連れの客は私たちだけのようだった。店の隅の小さなカウンター席で、ひっそりと真鯛の刺身を醤油に浸す。
 連れの男性と二人きりで食事をするのは初めてだった。たぶんデートと呼んでいいのだと思う。他に適切な言葉が思い浮かばない。
 お決まりのように、会話は「お互いの異性のタイプ」の話になる。この手の話になると、いつも私はよくわからなくなる。一応今までお付き合いした男性を頭の中で並べてみて、統計をとってみるのだが、見事にバラバラなので答えに困るのだ。外見で言えば、中東出身に間違われるくらい顔の濃い人から、笑うと目のなくなるタイプの薄い顔の人までいるし、性格でいうなら、みんなの前で全裸になって踊るお調子者から、話題の中心から少し離れたところでひっそりと微笑んでいるのが好きな人もいた。そもそも好きな「タイプ」と言って統計を取れるほどサンプル数がない。
「うーん、穏やかな人が好きかな」
 またテキトーなことを言ってしまった、と思いながらも、私は答えておいた。とりあえず私はすぐに怒る人だけは嫌いなので、間違いではないな、とも思う。すると、相手の男性は、こう言った。
「俺は前向きな人が好きだね。メンヘラも楽しいんだけどね。色々大変な分、喜びも大きいんだよ、メンヘラは」
「へえ。そうなんだ」
「前向きっていうのはさ、気の持ちようじゃなくてただ物事を多角的に見ることができるかどうかってことだと思うんだよね。ここに醤油の瓶があるじゃない? この瓶のどの面を見ているかによって見え方はどんな風にも変わる。それができる人が好きってことかな」
「なるほどね」
 と言いながら私は桜海老のなんとかという料理を見つめた。桜海老の無数の目がこちらをじっと見つめていた。
 そして桜海老は無表情で私にこう語りかけた。

『あんたは精神を病んでる人を気軽に『メンヘラ』って呼べる男を好きになれるかい?』

 桜海老は男性がほとんど一人で食べてしまった。日本酒の酔いは店を出る頃にはすっかり醒めていた。

 店を出ると男性が手を繋ごうとする気配がした。私は男性からつつつと離れた。
 新宿の夜は明るいのが良い。