仕事の化学反応
珍しく仕事の話でもしようか。
前回の記事(救いてえんだよ - それから)で書いた「先輩」が、ついに私たちのいるフロアから完全にいなくなった。そしてその先輩の不在で気づいたことがある。私は、あまりにも仕事が出来る人が至近距離にいると成長しないタイプだと。
「仕事が出来る」、とひとくちに言っても、それには色んなタイプがあると思う。コミュニケーション能力と問題解決能力が高いという意味での出来る人、寡黙だが作業力に優れ、凄い商品を作り出す職人気質な出来る人。
まず、この記事でいう「仕事が出来る人」とは前者のことを指す。会議の主導権を握り、問題を解決に導く。求められたことに答えるスピードがとにかく速い。仕事の取捨選択も的確。先を予測する能力にも長けている。情報収集能力もピカイチだ。素晴らしい。まっこと素晴らしい。
でも、私はそういう人があまりにも近くに居ると上手く成長出来ないのだ。なぜなら、いなくなった先輩はまさしくそういう種類の「仕事が出来る人」だったからだ。先輩がいなくなってから、皮肉にも私は自分が急スピードで成長していると感じるようになった。
それまでその先輩(A先輩)と、もう一人の先輩(B先輩)と私が3人でやっていた業務は残された2人体制になった。残ったもう一人の先輩はいなくなった先輩と真逆の寡黙な職人タイプである。
そこで会議である。今までA先輩の独壇場だった会議がどうなるか。
結果はこうだ。私はとにかく積極的に発言するようになった。最初は多分とんちんかんなことを言っていたと思うが、とにかく喋ってみた。すると段々要領が掴めてきてとんちんかんなことを言う確率も減ってきた。
そしてB先輩。なんと彼も若干競うように喋り始めた。最終的なでかい決断は私よりも上のB先輩が行わなければならないので、喋らざるを得ないし、そうでなくても自分から発言するようになった。実はまだ2人の発言量を足してもA先輩1人の発言量には到達していないが、そうなる日も近いのではないか。凄い。ハタから見れば当たり前かもしれないが、これは私にとっては凄く嬉しいできごとだった。
そしてそれは、紛れもなくA先輩の不在がもたらしたものなのだ。
思えばA先輩がいた頃、私は毎日悔しさと不甲斐なさを感じながら仕事をこなしていた。私がこうした方が良い、と思ったことはすべてA先輩が先に発言し、実現させてしまう。それどころか、A先輩の発言や行動が正解なことが圧倒的に多いので、自分の考えはすべて間違っているような気がして、臆病になった。そして会議の場は、A先輩の発言と自分の考えの答え合わせになってしまった。悔しい。自分もあんな風に言いたい。やりたい。でも何もかもをA先輩が先に進めてしまう。それは間違いなくA先輩の素晴らしい能力だ。有難い。そしてやっぱり頼ってしまう。その一方で悔しい。自分は出来ないやつだ。使えないやつだ。消えてしまいたい。そう思うことが多かった。
私がもしもう少し強く、賢く、悩まない人間だったなら。A先輩と切磋琢磨していくことも出来たかもしれない。でも私は頭が良くなかった。度胸もなかった。経験も不足していた。
もしかしたらA先輩はもっと私(とB先輩)に前に出て来て欲しかったのかもしれない。でも出来なかった。心の萎縮と甘えは激しかった。そうさせたのはA先輩のせいでもあったし、私自身のせいでもあった。私だけのせいだと言い切るのは簡単だ。私が至らなかっただけだと。でもそうだろうか? 私が甘いのは承知している。承知した上で、こう思う。確かにA先輩と私たちの間には良くない化学反応が存在していた、と。それはそれぞれが少しずつ原因を抱えて、存在していた。
本当はA先輩の不在によってではなく、3人の内に化学反応を変えるべきだったのだろう。それが出来なかったのは、悔やんでいる。その反面、自分の成長はA先輩の不在のおかげだと喜ぶ自分もいる。いや、そう思うこと自体なんかズレているのかもしれない。だってそれは会社の利益とは関係なくないか? 実際A先輩はいなくなってしまったのだし、会社としちゃあ利益あげればいいわけで。2人体制でA先輩と同じくらいの能力だったらそもそも意味なくないか? 考えるべきは2人で3人の時よりも利益をあげることだけじゃないか? とかなんとか思ったりしてもう良くわかんねえ。サラリーマンめんどくせえ。
それでも、今は信じるしかないのだ。この成長が色んな意味で吉と出ることを。そして多分、いつか私はA先輩を超えなければいけない。A先輩の亡霊に打ち勝たなくてはいけない。それこそが、多分色んなことを解決してくれるような、気がするのだ。