それから

ちょいと読んでかない?

いじめられていた私が流した、心の血

中学二年生の男の子がいじめを苦に自殺したと思われ、それに関する報道が連日行われている。報道を見聞きする度、私の心は痛む。何故なら私も小学生の時にいじめを受けた身だからだ。世の中の「いじめられたことがない人」が同じ報道を目にした時とは、どうしたって違う気持ちを感じていると思う。

連日の報道では男の子に対する担任教師の対応も明らかにされており、それに対する批判も良く目にする。報道を見る限りでは、私も「もうちょっとなんとかできなかったのか」という感想を抱いたし、それが男の子の死を食い止められなかった原因のひとつだとしたら、怒りさえ感じる。ただ、これは私の「報道(真実ではなく)」を通しての所感であるから、担任教師だけを糾弾してそれで終わり、にはしたくないと思った。そして唯一私が出来ることといえば、実際にいじめを経験した身として、当時の、そして大人になった今の思いを、ここに綴ることだ。

自殺したと思われる男の子は、親に対して心配をかけたくないからという理由でいじめの事実を伝えていなかったようだ、と言われている(追記:これも報道で親は知っていた、とするところもあり表現にバラつきがありました、申し訳ありません)私も、実際にいじめられていた当時、親にそのことをはっきりと相談しなかった。だが私の場合、いじめはバレた。それは私がどこかに隠していた「私への悪口が一方的に書き殴られたクラスメイトたちからの手紙」をたまたま母が発見してしまったからだ。しかし母はすぐには手紙を見つけたことを告げず、後日私と何かの口論になった時にふとこう言った。
「あんた、いじめられてるんでしょ!? あの手紙はなんなのよ!」
詰問口調で問われたのを覚えている。
私が悪いわけじゃないのに。そう思いながら、何も言い返せなかったと記憶している。いや、何も言い返せなかったどころか、大いに傷ついた。大人になった今だから、母も相談されなかった自分に対しての怒りゆえにきつい口調になっていたのかな、と推し量れるが、当時は12歳である。そんなこと、推し量れるわけない。

今になって、あの時の自分の気持ちを思い返してみて確信したことがある。
私の心の何が傷ついたか。
もちろん、親の理不尽な詰問口調にひ弱な心が傷ついたのもある。
でも多分、もっと深く傷ついたものがあった。
プライドだ。プライドが傷ついたんだ。プライドを面子と置き換えてもいい。それが傷ついたのだ。幼い私が持っていた、小さな、でも大切なプライドが。
自分が他人から「いじめられる人間」であることを親に知られてしまった。大好きな人に対して自分がそんな人間であることを知られたい者がどこにいるだろうか。子供はよっぽどのことがない限り、本能的に親が好きだ。その親に、自分がいじめられているということを知られたいわけがない。
そして、親にだけは、自分は何の問題もなく健やかに学校へ通っているというプライドがあったのに、それが傷つけられた。その傷から、みるみる内に「苦痛」の血が流れた。心が流血した瞬間だった。

「どうしてこんなことになる前に相談してくれなかったんだ」
とよく簡単に親は言う。
でも相談するということは、簡単ではないのだ。大好きだから相談できないということもあるのだ。そして、子供が大好きな人に自分の面子を潰してまで相談するということは、小さな心から大量の血を流す行為を伴うのだ。

だからだろう。子供のころ、私が初めて「助けて」と直接言った相手は姉だった。姉のことはもちろん大好きだが、それでも、私にとって、親よりも「自分の面子が潰れても大丈夫」と思える相手だった。だから「助けて」と言えた。
私の場合は姉だったけれど、子供がSOSを発する相手はそれぞれ違うと思う。それは担任教師かもしれないし、学校の違う塾の友達かもしれないし、はたまた近所のおっちゃんかもしれない。もちろん親である場合もある。多分無意識にそういう人を選択している。だから相談された人はそれを真摯に受け止め、行動するべきだし、親はそれを察知しなければならない。それは簡単なことではないとは思う。私は独身で、身近に子供がいないので、その難しさを実感出来ない。だからこうして自分が子供の頃を思い返して語ることしかできない。

だけどもしもこの先子供と接することがあったら、この記事を思い出して努めようと思う。

×××

すでに大人になってから。
「自分は小学生の時いじめられていたんだ」と打ち明けた人に、こう言われた経験がある。
「いろいろ辛かったかもしれないけどさ、結果、今君は立派に生きてるから大丈夫じゃん」と。
それは確かにそうかもしれない。結果論を言えば。でも、違うんだ。

私がいじめられて一番辛かったのは、いじめの傷によって少なからず性格を臆病に変えられたこと。
そしてそのことで、もしかしたら過ごせたかもしれない「未来」を奪われたこと。

いじめによって、他人の未来を奪う権利は誰にもありません。
男の子の冥福を祈ります。