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それから

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メロスになってくれた人

雑記

走れメロス (新潮文庫)
太宰 治
新潮社
売り上げランキング: 8,067

私はあんまり頭が良くないので、愛ってもんがどういうもんかずっと考え続けているし、私の周りの友達がすっと乗りこなしているようにはうまく恋愛を操縦することが出来んのです。いつも暴走するか、エンストするか、はたまた乗り込むことすら出来ないなんてこともしょっちゅうなんですわ。
私が愛と思っていることが相手と大幅にずれていて、そのずれに気づかんでコースアウトをこれまで何回も何回も繰り返してきて、自分でもほとほと呆れるというかいい加減にせいと言いたいのである。

十代の頃に初めて深いお付き合いをさせていただいた一人の男性には、今でもそういう点で申し訳ないと思い続けている。その頃、私は今よりもさらに未熟で阿呆だったので、その人を振り回すことでしか自分の気持ちを伝えることが出来なかった。というか、振り回すことが愛だと無意識に勘違いしていた。
それでも、彼は夜中に情緒不安定になって家を飛び出した私を絶対に追いかけて来てくれたし、私が自分の家で泣いている、と言えば、4時間以上かけて真夜中の道路を自転車ですっ飛ばし、会いに来てくれた。眠れない夜はいつまでも起きて頭を撫で続けてくれていたし、そんな我侭な私が彼を真似して喋る変な関西弁にも、「お前の関西弁おかしいねん」と言いながらちゃんと笑ってくれた(この関西弁もあってるかわからん)。
そうすることは彼にとって当たり前だったのかもしれないけれど、その後何人かの男性とお付き合いする中で、それは本当にすごいことなのだと思い知った。
走れメロス」に感動したからといって、多くの人がメロスのようには走れない。でも彼はたぶん走る。メロスになれる。愛する人が待っていれば、そこに向けて走る走る走る。そんな人を私は他に知らない。知らないから、彼は私の中で今でも特別な存在だ。私を愛してくれる人はいたとしても、私のためにメロスになってくれるような人には、人生の内でそう何人も出逢えるもんじゃない。

彼とは数年お付き合いしたののち、別々の道を歩み始めた。最後は私が彼を傷つける形で終わった。今でもなんてひどいことをしたんだ! と頭を抱えたくなるような傷つけ方である。
しかし、である。そんな傷つけ方をしたにも関わらず、共通の友達が私に教えてくれた彼の態度は、私を責めるものではなかった。共通の友達が別れた後の彼の近況を私に教えてくれた時の言葉は、こうである。
「○○くんと話しててもさー、一回も君のこと悪く言ったことはないよ。それどころかね、『あれは俺が悪かったんだ』って言ってたよ」

衝撃だった。普通ならくそみそに私のことをこき下ろしてもいい状況で、そんなことを言っていたのか。なんという器のでかい男だろう。真の愛情を感じた。彼の私への愛情は私が思っていたよりももっとずっと大きくて、綺麗に澄み切ったものだったと知った。私は感動し、反省した。その言葉を胸にこれからも生きていこうと心に誓った。

ところが、である。件の話を別の友人A(女性)にしたところ、彼女の反応はクールなものだった。愛だのどうだの甘ったるいことを考えていた私にドライアイスのごとき見解を滔々と述べてきた。
彼女の感想は、こうである。
「それって別に愛とかじゃなくてさ、自分が女性に傷つけられたって風に見られたくないだけじゃない? そんで、『俺は心の広い男だ』って自分を良く見せたいから言ってるんだよ。男のプライドだよ。男ってそういうもんだよ」
はあ。そうなのか。目からうろこが落ちそうなった。
又聞きした元恋人の様子から、愛されていたんだなあ、なんて呑気に思っていた私は阿呆だったのだろうか。そうかもしれない。阿呆かもしれない。大体、愛されていた、なんてなかなか自信過剰で思い上がった感想である。
お別れした後、私と元恋人は共通の友人を介して風の便りを届け合うだけの関係であったから、真実は闇の中だ。私はその闇から真実をひっぱり出そうとは思わない。というか、ひっぱり出せるわけがない。

なんだかな、それでもな、又聞きした元恋人の言葉には変なプライドや嘘はなかったんじゃないかと思っている。友人Aの言葉に一瞬「はあ。そうなのか」と目からうろこをこぼしかけたけれど、思いとどまった。元恋人は多分そういう人じゃない。というか、元恋人の態度について、そんな風に穿った見方をしてしまうなんてあんまりじゃないか。お付き合いしている間、彼がどんなに強く優しい男だったのか一番感じていたのは私じゃないか。彼が強く優しい男であったことは、私にとって厳然たる事実である。
真実を確かめようがないのなら、私は私の信じたいことを信じようと思う。私がメロスを信じなくてどうする。疑ってどうする。たとえ彼が真のメロスじゃなかったとしても、それはそれで構わない。
彼が一時でも私のメロスになってくれたことに感謝し、そしてそれをぶち壊してしまったことに心の中で謝罪をしながら、私はこれからも生きていくだけである。

まったく都合のいい解釈極まりないのだが、元恋人はそうやって私に終わった愛のことを教えてくれたのかもしれない、と思うようにしている。メロスな彼はわがままな女に振り回された、ただの阿呆なやつだ、そんなもんは愛とも呼べない、と誰かが言ったとしても、だ。私にとってはそれは確かに愛だったし、今でも愛だ。私がそれを愛と認めないでどうする。彼の愛を「あれは愛だった」と言えるのは私しかいないのだ。
そしてそう思わせてくれた元恋人にありがとうと言いたい。そしていつか、私も彼のように、誰かのメロスになれたらいいな、と思うのである。

元恋人は最近、長年付き合っていた女性と結婚した、といつものように風の便りで聞いたので、こうやって彼のことを書いてみることにした。メロスは妹の結婚式に出席したが、私は彼の結婚式には出席できないので、このように小さなブログでひそやかにお祝いの言葉を述べようと思う。
おめでとう。元気でやってくれよな。私も元気でやるよ。

(ほとんど書き終わってから、「走れメロス」を読み直してみたら、これ、そもそも恋愛の話じゃなくて友情と信頼の話だし、ちょっと例えにするのはずれてんちゃうか、と気づいたけどそのままにしておく。太宰治ごめんなさい、そしてありがとう)