King Gnuがきらめく音楽に昇華させたある種の諦念のこと
ここのところずっとKing Gnuを聴いている。
昨年の紅白歌合戦に出ている姿を見たのが彼らを知ったきっかけだから、まだまだ紅白歌合戦の影響力って侮れないよな。
彼らの音楽はとても素晴らしい。特にとても天気の良い朝、窓から降り注ぐ眩しい光とともに聴く彼らの音と声に耳を傾けていると、冗談ではなく泣きそうになる瞬間がある。私にはなぜか、彼らの音楽が雨や曇りの日ではなく晴れた日が似合うように思える。決して明るい曲調や歌詞ではないのに。それは彼らの歌のなかに現代の若者が持つ諦念が当たり前のように潜んでいるからなのではと思った。それは日常なのだ。
なぜKing Gnuがこんなにも多くの人に支持されるのかっていったら、やっぱりある種の諦めをきらめく音楽に昇華させたからなんだと思う。
彼らの楽曲の歌詞には、現状を憂うものが頻繁に登場する。それも、他の(自分よりも優秀な)誰かになりたい、もしくはもっとすごい自分になりたい、でもなれない現状を乾いた諦めとともに受け入れて歩いていくしかない。そういう憂いを繰り返し歌っているのだ。代表曲といっていい「白日」なんてまさにそう。とびきり明るいサウンドで駆け抜けるように聴かせる「Teenager Forever」でさえも、だ。恐らく、その諦念は今の20代〜30代が共通して持っている意識かもしれないと感じた。
あまり性格的な傾向を世代で括ってしまうのは好きではないのだけれど、世の中の状況によって多少の影響は否めないのが現実だ。私は三十代前半だが、明らかに「終身雇用」という言葉は死語になった。5年同じ職場に勤めれば「けっこう長く勤めましたね」と言われる。一部の大企業を除いて退職金なんてものは夢のまた夢だし、女性が妊娠すればやはり(やんわりと)退職に追い込まれるケースが多い。そんな状況では、自国の未来が明るいと思えるわけがない。この意識調査にもそれが現れている。
ミレ二アル世代の約半数が「現在の勤務先で働き続ける期間は2年以内」|@DIME アットダイム
努力すればどうにかなる。そういう時代は終わったのだ。だけど生きていけないほどじゃない。雨風を凌げる家だって一応ある。お金がないのにスマホであの子とメッセージがやりとりできる矛盾。中途半端な不幸。
私たちはたぶん、そういう毎日を生きていて、たまにインスタとかできらびやかな生活をしている誰かになりたいなと思う時もあるけど、結局このカラダで生きていくしかないわけで。休みの前日に飲むお酒が美味しいとかそういうちょっとした幸せもあるにはある。だからもうちょっと生きてみようかな。みるしかないよな。
たぶん、King Gnuはそういう諦念をきらめく音楽に昇華してくれたバンドなんだと思う。
ジャンルとかよくわからないけど、いつまでも聴いていたい繊細な高音としっかりとした低音の声。そこに重なり合ういくつもの鮮やかな音の数々。
きっとそこに共鳴した人がたくさんいたんじゃないだろうか。
2月9日に放送された音楽番組『Love music』にて、King Gnuが出演していた際に、アルバム「CEREMONY」に収録された「壇上」についてメンバーが話していた。この曲のことはその歌詞から愛する女性に向けて書いたのものかな? と思っていたのだけど、なんと「King Gnu」に向けて、「King Gnu」がなくなった時のことを想像して書いた曲なのだそう。形あるものはいつかなくなるということを受け入れるかのような、そんなKing Gnuの美学の真髄を見た気がしてこの曲とKing Gnuが一層好きになった瞬間だった。