それから

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曇天の旅

職場の人から、結婚の報告を受けた。夫婦になる二人は、共に自分と同じ部署の人で、実におめでたいと思った。自分でも驚くほど嬉しくて、興奮してしまって、同じく同僚の後輩(20代男)にこんなLINEを送った。
「某さんと某さん結婚するんだってね! お似合いだよね!」と。
後輩は「お似合いですね」と同意した後、こんな一言を返してきた。
「あんまり気にしちゃだめですよ」

一拍おいて、意味を理解した。
「(自分はまだ結婚してないってことを)あんまり気にしちゃだめですよ」という意味だと。
後輩とは普段から冗談を交わし合う仲であるから、それが悪意を含んでいないことはわかっている。私が本気で怒らずに、「うるさいよ(笑)」と返してくることを彼もわかっている。彼を嫌いになることは、ない。

だけど多分、私は怒ったんだ。それが証拠に、こうして午前四時にブログを書き殴っている。
怒った? 何に? 後輩の無遠慮な一言に? 違う。私はきっと、自分自身に怒っている。
誰からも愛されない自分に。

まだ若かった頃、10代後半から20代前半の頃、失恋した時や人から傷つけられた時に、私は良く母に泣き言を言った。
「私は誰からも愛されない人間なんだ」
そうすると母は決まって、優しい声でこう慰める。
「私たち家族がいるじゃない。私たちが愛しているじゃない」
親の対応として、この台詞は全く正しい。何も間違っていない。でもその正しさは私を余計に悲しくさせた。
家族は家族だから。自分を愛してくれるのは当たり前だと思ってしまう。大人になった今では、それはとても幸福なことなのだと少しは理解できるようになった。しかしそれでも、私はこう思ってしまう。
たった一人でも、血の繋がらない人間が私が愛してくれたなら、私を覆うこの薄闇は消えてなくなるのに、と。

もしかしたら、自分は恋愛というものに向いていないのかもしれない、と気づいた時からずっと、私は曇天の下を歩いている。曇天の下、人一人いない中途半端に舗装された一本道を、延々と歩いている。せめてこの道が時々変化してくれさえすれば、心救われるのに。たとえば、新緑の中で鳥の声が飛び交う獣道。雨のカーテンを車のクラクションが切り裂く国道。そんな道に時折入り込んでしまうくらいが丁度いい。生きている実感がある。けれど、そんな気配はない。道はどこまでも真っ直ぐで、空は薄暗く、足裏には靴底に小石が入り込んでいるかすかな不快感。そして誰もいない。かつてこの道を誰かが通った形跡はあるのに、あたりには誰もいない。自分しかいない。そんな道を、ずっと一人で歩いている。もしかしたら自分はこの先もずっと、(家族以外の)誰からも愛されないのかもしない、という不安は、私にそんな気分を味わわせている。

後輩から冒頭の一言を言われた時、私は怒るべきだったのかもしれない。その言葉そのものに。けれども長い長い曇天の旅は、私にそれを忘れさせてしまった。周りからそういった種類の冗談を言われるたびに、いつしか悪いのは私なのだろうと思うようになった。どうしたらこの道から逃れられるのか、そもそも自分は逃れたいと思っているのか、今はもうわからない。多分こういう人は私の他にもたくさんいて、周囲の「悪意のない圧力」に耐えながら、曇り空の下を孤独に歩き続けているんだろう。私にはそのことがわかる。ただ、感覚として、わかる。そういう孤独を少しだけでいいから理解してくれと思うのは、そんなにわがままなことなんだろうか。

「うるさいよ(笑)」
と、後輩に返事を返したあと、私はこの文章を綴っている。
もうすぐ、夜が明ける。朝がくる。たとえ空が、曇天だとしても。