それから

ちょいと読んでかない?

価値観の違いの恐ろしさ

この話の主旨にドトールコーヒーはあんまり関係ないのだけども、ドトールコーヒーという響きによって堅っ苦しいエントリタイトルを緩和していただくために、この記事ではドトールコーヒーを連呼しております、はい。

数年前のことなのだが、私はとある駅近くのドトールコーヒーで当時付き合っていた恋人が来るのを待っていた。その日は休日で、二人でライブに行く予定だったのだが、恋人は待ち合わせの時間に遅れていた。
携帯で連絡を取り合い、5分やそこらの遅刻じゃないとわかったので、私は駅の近くのドトールコーヒーに入って恋人を待つことにした。店に入ったからには何も頼まないわけにはいかないので、お昼近くだったこともあり、カフェオレと小さなパンを頼んだ記憶がある。ライブの時間まではまだ余裕があったので、私も余裕をこいてカフェオレとパンを美味しくいただいた。関係ないけど、ドトールのクロックムッシュって最高に上手いよね。

そしてようやく恋人がやってきた。待ち合わせの時間から1時間近くは経っていたと思う。
私は恋人に、「そこのドトールで待ってたよ」と告げた。恋人から、「何か食べた?」と聞かれたので、何も思わず、食べたことと食事の内容を軽く教えた。

すると、恋人が怒り出したのである。
「なんで一人で食べるの? ていうか、ドトールに入るのはいいとして、俺にカフェオレかパンの一つも買おうとか思わないの?」

唖然である。私は硬直した。私の中には彼の言うような選択肢が一つも浮かんでいなかったのである。
そうか、そういう考え方もあるのか、と頭のどこかで思いながらも、もう一方の頭ではやがてふつふつと怒りが沸騰を始めていた。
1時間近く遅れてきてその言い草はないのではないか。私がドトールコーヒーに入った目的はあんたの食べ物を買うことじゃなく、あんたが遅れてきたことによって発生した無駄な時間をつぶすことだったんだぞ。
さっそく喧嘩が始まった。とりあえずライブには行かねばならないので、私は恋人の運転する車に乗り込んだものの、車中にはそれはそれは緊迫した空気が充ち充ちていた。
(ちなみに、その時のライブとはオアシスの来日ライブだったのだが、ライブが終わった後、私たちは何事もなかったかのようにオアシスがいかに素晴らしいかを語り合った。オアシスは偉大である)

価値観の違いといってしまえばそれまでだが、今でもドトールコーヒーに入る度にこのことを思い出しては、実はあの出来事においては私の方が悪かったのではないかという思いを捨てきれず、未だにぐずぐずと考えることがある。

ここであの状況で私が取れた行動を挙げてみる。
1.店に入らず駅の前でひたすら待ち続ける
2.店に入って自分だけ飲み物と食べ物を食し、恋人を待つ
3.店に入って恋人の分の飲み物と食べ物を買い、やってきた恋人に渡し、一緒に食べる
4.店に入らず恋人がやってきたら「何か食べる?」といって一緒に店に行き、食べ物を買う
5.遅刻への怒りを表明し、一人でライブ会場へ向かう
6.店に入ってドトールのクロックムッシュを思う存分食べ、そのまま彼のことは忘れてエクセルシオールスターバックスタリーズめぐりをし、満腹の幸せ気分でライブ会場へ向かい、恋人とはお別れいたす

5と6はありえないとして……どう考えても私が実行した2は分が悪いじゃないか!!

これを書きながら私は反省した。ごめんなさい。可愛げないです。修行します。
しかし、である。このことを実家の父と姉に話したところ、二人はばっさりとこう言った。
「その男の器がちっさいだけじゃないの?」

価値観の違いとは恐ろしいものである。
確かに、私の父が上記のような状況に遭遇したとして、恋人が2の行動を取っていたとしても、父なら笑いながら「何それ、美味しそう。おれも買いに行っちゃおうかな☆ちょっと待ってて☆」と言いそうである。
育ってきた環境だろうか。元々の性格だろうか。なんとも楽な気質である。
そしてそんな父の元で育った私も、もし逆の立場だったら怒るどころかやっぱり「私も買いに行っちゃおうかな☆」とドトールへウキウキしながら向かうだろう。
しかし件の恋人のように、怒ってしまうような人の気持ちもわからなくはない。
わかなくはないからこそ、私はこれからこのような状況に出くわしたとき気をつけなければならない。

まあ、このことをどうでもええーと切り捨てることも出来るのだが、こういう価値観の違いがえてして交際の終焉への引き金を引き兼ねないので、無下にすることも出来ない気がするのだ。
だから私は自分への戒めも含めた上で、ドトールコーヒーに行った時はこのことを思い出すようにしている。思い出すようにしているのだが、実際のところは、最高にうまいクロックムッシュを頬張りながら、
「でもやっぱり父ちゃんみたいな人を見つけよう。そうしよう」
と呑気に思っている。
人間とは、そうそう変われない生き物なのである。