恋は立ちのぼるもの
以前書いた記事(脆弱な未来 - それから)の中で、私が他の男性とデートしそうになった時、「複雑です」と言った男性と、デートをしてきた(ややこしいな)。
イタリアンを食べて、コンサートに行っただけだけれども、デートといって差し支えないと思う。いや、私がデートと言うんだからデートなんだ。それで良いじゃないか、なんか文句あるかこのやろう(誰に言ってるのか)。
デートの間、ずっと私はその人に触れたいと思っていた。ピザを食べて右手が油でてらてらしている時も。会場へ向かうタクシーの中で乾燥した空気に手の甲が痒くなっても。コンサートの最中、行儀良く膝の上に乗せられたその手が視界に入る度に。触れたいと、思った。
その触れたいという気持ちは、私の頭の天辺から、東京の冬の空にもわりと湯気のようにたちのぼった。私には、その湯気が見えるようだった。そして不思議なことに、まるで子供の頃お漏らしをした瞬間の、恥ずかしさと快感がないまぜになったかのような、あの何とも言えない心地良さを感じた。あの心地良さにはまだ名前がない。吾輩は、心地良さである。名前はまだない。
でも、あなたは私があなたに対して思うほど、私に触りたいとは思っていなかっただろう。何となく、それはわかる。それでも良い。立ちのぼる湯気の中で、あなたの隣を歩くのは、とても心地良かった。
恋は、するものでも落ちるものでもなく、立ちのぼるものではなかろうか。そうじゃなかったか。
この感情に、名前はまだない。名前を付けられるのを待っている。