それから

ちょいと読んでかない?

コロナ禍に独りでいるということ

年が明けました。2021年。2020年はとにかくコロナウイルスに支配された年だったわけだけど、幸いにも私自身は罹患することもなく、金銭的にも困窮することなく(むしろ基本給もボーナスも上がった)、辛かったのは慣れないリモートワークで狭い一人暮らしの部屋に閉じ込められたせいか鬱に拍車がかかったことくらいで、下半期は段々それも回復していった。リモートワークのおかげなのか無駄なお金を使わなくなったことで貯金も増えていったし。だから自分はものすごく恵まれている方なのだと思う。


世の中には、実際にコロナウイルスに感染してしまった人や、コロナウイルスによって職を失った人、給料が減額されてしまったしまった人などがたくさんいるわけで。そう考えると自分がこのウイルスから受けている影響など本当に小さなものだ。とはいえ価値観みたいなものには少なからず影響を与えたように思う。


「誰かと自由に会えない」ということは家族を持たない自分にとってはそれなりに孤独を強く感じさせるできごとだったし、改めて結婚してパートナーがいる人を羨ましく感じた。大袈裟じゃなく、もしコロナウイルスに感染したら孤独死も覚悟しなくてはならない状況だからだ(今だってその危険性は続いている)。遠く離れた土地に住む両親に会いにいけない寂しさも相まって、自分は改めて「独り」なのだと痛感した。


紅白歌合戦福山雅治が「家族になろうよ」という歌を歌っていて、私はこの歌があまり好きじゃないなと思ったのだけど(ステレオタイプな父母像に、子どもを作る前提の歌詞がその理由)、その一方で、家族が欲しいという自分もいて、なんだかよくわからない心持ちになった。
さらに言うなら、「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」を最近見たのだけど、「結婚だけが女の幸せではない」と言わんばかりのジョーにも完全には共感出来ず。自分の気持ち迷子状態。


結局のところ、家族とかパートナーが欲しいとかっていうよりも、臭い言い方をするのであれば、愛し愛される関係の誰かが欲しいということなのだと思うのだけど、2021年にそんな人を見つけられるのだろうか。1月1日の午前3時からそんなことを考えているあたり、なかなか根は深いのだった。